憲兵装甲大隊
憲兵装甲大隊は1987年戒厳令の解除により、衛戍地域の重大反乱を防ぐために急遽に設立された対策部隊であるが、
現在では中国軍の空挺襲撃対策の緊急展開部隊として再編成された。平時には一般警備勤務と、各種要請に応じる特別警備勤務の支援も兼ねている。
憲兵部隊のなかでも、憲兵装甲大隊の訓練の厳しさとそれに応じる高い戦闘力が非常に有名である。福西駐屯地には広い演習場と訓練施設が揃っているため、
すべての教育訓練を平日から徹底的に実施することが可能である。新兵が憲兵訓練センターの訓練に合格しここに配属されても、まず射手、通信手、
装甲車運転手に分けられる。そしてさらに専門的な兵科教育が実施され、終了検定に合格しなければ正式の装甲大隊隊員として認められない。これ以外にも、
一年半ごとに部隊ごとでより実戦に近い高度な戦闘訓練を行っている。勿論この訓練にも検閲制度が実施されている
(実は全ての憲兵部隊もこのような訓練システムがある)。そのために平日の勤務以外の時間もこの検閲をクリアーできるよう将兵全員が体力や戦闘技能を積み上げて
部隊のレベルを上げている。
憲兵装甲大隊は憲兵部隊のなかに唯一V150装輪装甲車が装備されている部隊であるために、暴動の鎮圧、
空挺襲撃対策などの機動力や戦力も憲兵部隊の頂点に位置付けられるといわれている。平日には一般的な憲兵勤務も担当しているが、
戦時には首都防衛作戦の不可欠な役割を有している。
なお、2005年から第二の憲兵装甲大隊が成立され、2大隊とも台北市内に配置している。
憲兵砲兵大隊
2005年4月に、憲兵隊は台北中枢を防衛するため、ふたつの憲兵大隊を「砲兵大隊」と第二の「装甲大隊」に改編した。主な防衛任務は台北の北玄関であり、台北市北部の基隆河北岸地域を駐屯地とし、
中国軍が台北進撃する際の対策部隊とされている。
軍の情報筋によると、中国軍が台湾を侵攻した場合、首都台北について可能性の高い3つの作戦進路が想定されている。ひとつは空中からの空挺による台北
松山空港の襲撃をし、一気に中央政府の中枢部をマヒさせる。ひとつは海上から東北海岸の基隆市に上陸し、高速道路を沿って30分以内に首都台北に着き、
もうひとつは西北の淡水河を遡って台北にたどり着くなどが考えられる。その攻撃目標は台北松山空港と大直要塞であることを明らかに示している。この際、
台北との連絡道路のほとんどが壊滅状態になる可能性が高く、周辺の味方部隊が台北市内部隊と合流するもきわめて困難であり、台北市内戦には増援なしの死守戦
と思われる。
このため、台北防衛の責任者である憲兵司令部は、憲兵隊の最優先任務を首都ゲリラ戦に変更し、陸軍司令部、海軍司令部、国防大学、軍事情報局、蒋介石の「慈湖御陵」など憲兵部隊の警備勤務をすべて解除した。また全国各地の地方憲兵隊を縮小し、
憲兵隊全軍に五分の三の兵力を台北市内に集中配置した。
憲兵砲兵大隊はこの政策を背景にして編成され、当初は市街戦に適した120ミリ迫撃砲中隊、FIM-92スティンガー地対空ミサイル中隊、SMAW対装甲ミサイル中隊からなる予定であるが、
後二者は国会において予算案が否決され、結局今は迫撃砲大隊となった。
そして憲兵砲兵大隊は2つの憲兵装甲部隊とともに1600名余りの高い機動力と重火器をもつ憲兵部隊が台北市街戦の火力打撃の主力としている。